カテゴリ:1.子供の頃~婦人部( 5 )

1-5.出産、ヤング

出産前に仕事を辞め、専業主婦になりました。仕事中心だった私が、専業主婦になったことで、婦人部には喜ばれました。
夫はシフト勤務、二世帯同居の義父は認知症の要介護者。そのような状況の私に時間を合わせてくれることもあり、小グループなどの近隣で行われる会合には、月1で参加していました。

ヤング(幼い子供がいる主婦、という認識でいいのでしょうか?)になった、と言われ、ヤングの会合にも参加しました。
出産は自宅から離れた病院だったこともあり、近隣に親子共々同世代の知り合いが少なかったので、子育てや幼稚園に関する情報を教えてもらえることは助かりました。
しかしながら、ヤング幹部が「うちの旦那は、池田先生みたいに立派じゃないからな~」と笑いながら言って、それを周りで、「そ~よね~」なんて話してる場に、違和感…。



しかしながら、翌年春に子供の幼稚園入園を考えていた私は、そういった情報を教えてもらえる場でもありました。
その年の秋、子供にあった雰囲気の幼稚園を希望したところ、定員を超えた為、抽選となりました。
私の住んでいる所は、公立幼稚園はなく、全て私立幼稚園。近隣にマンションが乱立し、ここ数年で人口が増加した為、先着順の幼稚園は前日の夜から保護者が夜通し並ぶ程になってしまったのです。

私の希望した所は、抽選式でした。
そして、大きな病気もせず育ってくれた我が子の、最初の山でした。

疑問を感じながらも、私は題目を上げていました。
創価という組織に疑問を感じつつも、やはり題目には力があるのではないか、と思ったのです。
そして、約3分の1の確率のところ、私は抽選に当たりました。
それによって、勘違いしてしまったのです。「功徳かもしれない」と。

後から思えば、くじ引きなのですから、誰が当たるか分からない話、です。
こんなことでも「功徳」と思ってしまう…。MCですね。

ヤング・婦人部に話すと、皆喜んでくれました。
「祈ったからだね!」「功徳だね!」と。

あとから聞いた話ですが、ヤングの幹部が、私と同じ抽選の場にいたそうです。
が、見事ハズレ。バリバリ活動している方に、功徳は無かったのでしょうか・・・?



ヤングになって1年経つと、それまで支部ヤング長をやっていた人が、仕事をすることになり、他に人がいないので、支部副ヤング長として、やってもらえないか、と話がきました。
色々な思いがありましたが、子供の幼稚園のことなどもあり、お世話になったこともあったので、引き受けることにしました。

「副」というのは、未入会(どちらかといえば反対)の主人や同居家族のことで、時間の制約があるから。しかしながら、「副」とはいえ、「正」がいないのだから、やることは一緒です。
主人・子供・義父母と無関係に動ける時間。これを月に1日とはいえ、確実に見つけることが大変でした。支部婦人部長が会場の手配などをしてくれましたが、それを連絡したり、配布書類を届けるのも、大変なことでした。

しかし、支部の部員は、「選挙は協力するけど会合は出ません」というAさん、都合があえば出るけど…のBさん、数ヶ月前に入会したばかりのCさん(出産後で求職中)。

Aさんは、「会合に出るつもりはないので、申し訳ないから連絡も不要」と支部婦人部長に伝えている程の人、Bさんも出席したのは最初の1回だけ、Cさんはメールしても返答もあるかないか。

それでも毎月開催しなければならず、結局参加するのは、私、支部婦人部長、ヤングの本部長、婦人部幹部。毎月プリントを作っても、支部婦人部長やヤング本部長と家庭訪問をしても、何も変わらず、無意味さを感じるようになりました。
Aさんのように、堂々と宣言する人をうらやましいと思いました。私もそう言えたら、どれほど楽だろうか、と。

ヤングの活動は、無駄に時間を費やした気がしますが、Aさんを知り、同世代であるヤング幹部の様々な発言に疑問を持つことで、覚醒への第一歩が始まったような気がします。






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by awake_2014 | 2014-12-05 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)

1-4.結婚

20代の終わりに知り合った彼。3年ほど付き合って結婚することになりました。
恋愛時代に、私が創価学会だということは伝えていました。でも、さほど熱心でも無いのだ、とも。

ただ、両親は熱心。恋愛ならまだしも、結婚となったら、どうなるか?と思っていました。
彼が私の家に挨拶に来た時、父は結婚の条件として、御本尊様を安置すること、と言いました。それがOKなら、結婚もOKだと。その場ではすんなり受け入れた主人でしたが、後に「それが条件ってことにビックリした」と。そりゃそうです。それが普通の感覚です。私ですら内心、びっくりしました。

結婚前には、仏壇を買うように、とお金をくれました。しかし、部屋に仏壇をどっしり置く場所もなく、布団を敷く寝室しかないので、既にあるタンスの上に置く、小さな仏壇を購入しました。父は、そんな小さいやつなのか…と不満そうでしたが。母は、未入会の彼がOKしてくれるのだから…と好意的でした。

両親の思いとは逆に、私は、今の主人と結婚したことで、ホッとしていました。
勤行唱題をやりなさいよ、と言われる環境から逃れられるから。してもしなくても、誰にも何も言われない環境になるから。







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by awake_2014 | 2014-12-04 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)
就職は、大学からの紹介?推薦?で、いきなり役員面接をして、すぐに入社が決まりました。あとから思えば、建設会社なので、会館建築に恩義を得たいわけで、新入社員一人いれるぐらい、たいしたことではないのです。

選挙になれば、選挙活動一色。「電話を」「訪問を」と言われるものの、もし自分が相手の立場だったら?と思うと、あまりお願いする気になれませんでした。
週に2,3度、Fはどう?と聞かれるのが苦痛でした。選挙の前になれば毎日。前日、当日と自分がお願いした人が行ったかどうか報告しろ。何でそこまでやる必要があるのだろう?せめて当日は、結果を待てばいいのでは?とずっと思っていました。

会社では2年目から希望の部署に配属されました。同期も多く、新たなシステムを導入する時期でもあり、残業して遅くまで仕事をしました。終電帰りもありましたが、それが苦痛には感じられませんでした。

しかし、苦痛だったのは、それでもやってくる女子部。いつだったか、仕事が毎日遅く会えないからと、夜の10時前に家庭訪問に来て、さすがに「非常識じゃ無いですか」と伝ると、後日、謝罪の手紙が入っていましたが、これをきっかけに、ますます嫌になりました。

ある幹部は「祈って時間は作るのよ。祈れば会合に出る時間も作れるのよ。」とか言ってきましたが…はぁ?私の仕事、今、そんな簡単にまとまらないんですけど。週末だって出てる人がいるんですけど。トンチンカンすぎて、さらに嫌悪感が増していきました。

それでも、選挙になれば、公明党を応援しなければいけない、という子供の頃からの環境もあり、母も何かと言うので、とりあえず友人に話してみることもありました。しかし、反応は良くありません。その度に、落ち込みました。10代の頃、創価の話したことで友達が離れた苦い経験を思い出したのです。

私は学会員、と言わなかった為、選挙になると、私を学会員と知らない知人友人から、色々なことを言われました。
「この前さぁ、中学の同級生から突然電話きて。卒業してから音信不通だったのにね。で、いきなり「公明党をね~」だって。創価学会なの?って聞いたら、「そうなんだ~」って。中学の時だって、別に仲良かったわけじゃないし、何年も音信不通で、いきなり「公明党」とか言われて、入れるわけないじゃん。面倒だから「分かった~頑張ってね~」って言っておいたけどさ。そしたら、それで終わり。「ありがと~!今度会おうよ!」だって。会うわけないじゃん。」
みたいな話です。一人ではありません。何人からも同じようなことを言われました。

それでも電話をした人は、「やった!久しぶりの友人に勇気を出して電話したら、Fがとれた!」と歓喜しているんでしょうね…。
そして、選挙が終わると、結果だけに一喜一憂し、その後の政治活動は把握せず…。
それでも「友人へ正義を広めることで、自身が成長する!」なんて、指導し、指導されて…。
選挙の度に私の嫌悪感は強くなりました。





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by awake_2014 | 2014-12-03 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)

1-2.進学、学生時代

高校3年になり、進学を考えたとき、勉強したい分野等から大学を絞っていくと、八王子のS大学と、都内の2,3の大学に絞られました。
かなり迷いましたが、親孝行にもなるのではないかと、八王子の大学に決定。推薦入試に申し込みました。筆記試験と面接。見事合格しました。

正直、私は英語が大の苦手で、筆記試験の点数は見るも無惨だったと思います。きっと面接で通ったのではないかと…。
高等部では部長としてバリ活でした。面接でもバリ活幹部並に(笑)、自信満々に受け答えしていた記憶があります。

そして、面接時に驚いたのが、5人ほどのグループ面接で4人が、全員、同じ市内で部長でバリ活だった顔ぶれ。バリ活だったので、大きな会合では度々一緒に役員を行い、気心知れた仲でした。そして、その面々は、全員合格。
推薦入試は、学力というよりも、創価学会員としての素性で合否が決まったのではないかと思ったほどです。

入学し、学生時代も熱心に活動しました。

大学の授業以外は、創価の活動をしていたようなものでした。学食で語り合ったり、行事だって「創立者への感謝の気持ちを!」と言いつつ、裏では「題目あげてる?」みたいなことなわけです。学内に御本尊様を安置している場所もあるのです。

行事前は、終電で帰宅することも多く、たまに早く帰宅して、地元の座談会に出ると、大学の話を聞かせて!と言われ、ちょっとしたエピソードを話すと、壮年・婦人部は喜んでくれました。

そんな学生時代、宗門問題が起きました。

この頃から、新聞や配布される資料等に「打倒日顕」「極悪粉砕」等々、人の幸せを祈る組織とは思えない言葉を多々目にするようになり、違和感を覚え始めました。
趣味等で学外の友人関係が広がり、色々な人と繋がるなかで、さらに学会に対する違和感が増していきました。

1年次は、学内行事で役員になったものの、1年次の秋以降、基本参加のものですら、やる意識が薄れていき、勉強と資格取得に励むようになりました。
早く卒業して、社会人になりたかったのです。







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by awake_2014 | 2014-12-02 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)

1-1.子供の頃

祖母が入信していた3世。よって生後3ヶ月で入信しました(させられてました)。
物心つく前から、親と座談会に行くことが普通の生活です。。
ただ、今から思えば、夜の会合についていくと、終わるのが20時半頃で、だらだらとお茶を飲み、帰宅が21時頃。それから風呂に入ったりするわけで、決して子供にとって規則正しい生活のリズムではなかったと思います。

小学校5,6年の時は、県の合唱団に入りました。11~12歳ながら、信心についての厳しい訓練を受けました。周りの大人は褒めてくれるし、疑うことはありませんでした。

それ故、当時の「創価以外は邪宗」という教えがこびりつき、子供の頃、友達と神社のお祭りに行くとか、子供神輿を担ぐだとか、初詣に行くということは、未経験の世界。
神社のお守りを大事に持つ同級生達を、心の中で笑っていたほどです(全くもって恥ずかしい話)。

それでも、小学生ながら、多少の疑問がありました。
「お題目は、一遍でも心を込めて唱えれば御本尊様に通じるのよ」と言われたり
「1時間しっかりお題目をあげれば、勝利に向かって進めるのよ」と言われたり。
一遍でも通じるなら、1時間も2時間もあげる必要ないんじゃないの?
毎日心のこもった三遍やってればいいんじゃいの?
…なんて思っていました。

その後も熱心に活動を続け、中等部、高等部では部長として、活動していました。
未来部で、「祈れば願いが叶う」と教えられました。「信心があれば、何事も勝利できる。」

でも、勉強ができる友達、運動ができる友達。みな、学会員ではありませんでした。カバンに神社のお守りをつけている。その子が学年トップクラスの成績だったり、スポーツで県大会出場したり。
信心が無くても、勝てるんじゃない?という、素朴な疑問を持ち始めた10代でした。

小中高と、今で言う「バリ活」という部類だったのかもしれませんが、私は、勤行・唱題が嫌いでした。
「普通の子供だから」だと思います。
長時間正座して、お題目を唱えるなんて、出来ませんでした。
(今振り返ると、この点が良かったこと、なのですが。)
でも、周りからは「あげてる?」「頑張ってる?」と聞かれ、「はい」と嘘をついていました。嘘でも「はい」と言えば、褒められるからです。

簡単です。勉強やスポーツとは違うのです。
「勉強してる?」「はい。」嘘をついても、結果が出ます。テストで点を取れなければ嘘はバレます。
「練習してる?」「はい。」スポーツだって同じです。練習していなければ出来ないことがあるし、嘘はバレます。

しかし、創価は違います。 「お題目あげてる?」「はい。」嘘をついても、どうにでもなるのです。
ちょっと成績があがれば「お題目をあげたからだね」と言われ、
ダメだったら「もっとお題目をあげれば変わるよ」と言われる。

どっちでもオッケーなのです。

幼かった頃…。
母は「御本尊様が守ってくれるから」「お題目あげてるからね」と言ってくれました。
でも、後から考えると「お母さんがいるから大丈夫よ」って言われたこと、あったっけ?

私自身、母親となって考えました。
「ママがいるから大丈夫よ」そういってハグすると、子供は満面の笑みを返してくれます。
私が子供の頃、そう言われたことって?






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by awake_2014 | 2014-12-01 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(8)