カテゴリ:6.その後(2016年)( 13 )

またまた1ヶ月以上空いてしまいました。
が、とっても元気です。
「便りが無いのは元気な証拠」なんて言葉がありますが。
「アップが少ないのは平穏な証拠」であります。


この一ヶ月は、子供が入学ということもあり、非常にドタバタしておりました。
さらに、母が整形外科の手術で入院となり。ドタバタに拍車をかけてくれました…。

まあとにかく、「出産以来の入院で不安」「またスタスタと歩けるようになるのかしら…」と、入院前は不安満載のメールがたっぷりで。
お題目あげればいいじゃないよ、と言いたくなるほどでした…。

本当に、私はメンタルの弱い母が苦手です。浮き沈みが激しい母が。
会合に出たり新聞を読んだりすると、「お題目をあげればすべて大丈夫!」と語ってくるのに、自分が不安になると、もうボロボロ。
まあ血のつながった親子だから弱みも見せるのでしょうが、あまりにもギャップが激しくて、子供の頃からイヤでした。
子供の頃から、私に「題目あげればすべて解決」っていうなら、あげりゃいーじゃない!と、ずっと思ってました…。

先日退院して自宅に戻りましたが、仏壇に「祈 手術大成功 実証を示す!」って紙が置かれてました…。
スタスタ歩けるようになったら「信心のおかげです!」とか座談会で言っちゃうんだろうなぁ…。

私から見て「片付けが苦手な母」。すぐテーブルに何でも積んだり並べたりする人でして…。私はそれがイヤなんですけども。使わないのはしまっておく!本は立てて並べる!と思っても…でっかい本棚があるのに、その中は、読みもしないような「人間革命」とか、創価発行の書籍ばかり…。
その読まないの減らしたら、あちこち置いてある物、全部本棚にしまえますけどね…。


そんなドタバタの中、子供は無事に入学しました。
幼稚園時代のお友達と離れ、同じ幼稚園の子が少ないという環境。
3年前の入園後は、泣いて泣いて帰りたいと言っていた我が子。
大丈夫だろうか?と思っていましたが、毎日楽しい!と元気に登校しています。

楽しくても、不慣れな場所は大人でも疲れるもの。
帰ってきて、多少わがままや生意気な言葉も出てきますが、しっかり受け止めて、ハグして、甘えさせてます。甘やかす、のではなく、です。

小さい子供には、題目でも御本尊でもありません。
「お友達と仲良くなるように祈ってるね」なんて言葉いらないのです。
「じゃあ一緒にお題目あげましょう」なんて時間、いらないのです。

その分、膝に座らせて、たくさん話を聞いて、同調して、一緒に笑う。
外では大変なこともあるけれど、家に帰ってくれば、ママは話を聞いてくれる。ママは私の気持ちを分かってくれる。
その安心感が必要なのだと思います。

子供の頃、親がバリ活で、夜も週末も会合ばかりで、なかなか話す時間がなかった…。
これは私だけでは無いと思います。
私はそんな生活はさせない。
子供が話したいときはしっかり聞いて、一緒にご飯を食べながら今日あったことを話す食卓。
これからも続けていきたいと思います。




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by awake_2014 | 2016-04-24 00:00 | 6.その後(2016年) | Comments(12)

どっちが大丈夫?

またまた記事のアップがあいてしまいました。
スミマセン。でも、相変わらず元気に過ごしております。

この春、子供が小学校入学を控えておりまして。
幼稚園では、最後の○○、親子がらみが続き、入学準備…。
さらにスマホの調子が悪くなって買い替え、全て設定し直したり…。
ブログを拝見させて頂きながら、コメントを残せずスミマセン。

気がつけば、「伝統の2月」…ではなく、「覚醒の2月」を過ぎておりました。
(2-5.覚醒へ、地区婦の無礼・非礼 に書きましたが、私の覚醒へのきっかけは、2014年2月が始まりでした。)


さて本題です。

書こうと思っていたことを差し置いて(?)
久々にトンチンカン地区婦からメールがきました。
2015年9月の「うぬぼれないで!」以来ですから、約半年ぶりですね。
この時も書きましたが、9月にきたメールの内容は…

「学会、やめちゃうの?
 信心だけ続けますか?
 私が居なくなれば、組織に着きますか?
 そんな風に思わせてしまい、申し訳ありません。
 が、地区の一員である事は変わりないので、連絡だけはさせていただきます。
 心から祈ってます。またよろしくお願いします。」

でした。
「うぬぼれないで!」を自分でも読み返したのですが…
この半年、メールもなければ、近所で地区婦にすれ違うこともありません。相変わらず何の連絡も無いし。
メールが来たので、ブツブツ言っていたら、主人も思い出したように同じ事を言ってました。「全然見かけないね!」(笑)

で。その地区婦からきたメールです。

「先日、お義父様が去年亡くなったと聞きました。心は大丈夫ですか?
 ご冥福をお祈り申し上げます。」

ブログにも書きましたが、昨年11月に義父が他界しました。
11月です。
今、3月です。
それでいて

「心は大丈夫ですか?」

は?意味が分からないのは、私がおかしいのでしょうか?

3ヶ月半もたって、家族みんなが新たな生活に慣れて過ごしている現在…。
とっくに大丈夫です。家族みんなで協力して生きてますんで。

というか、大丈夫じゃなかったら何ですか?
おきまりの「一緒に祈りましょう!」ですか?
いやいや、万が一、大丈夫じゃなくても、義父が他界してから3ヶ月半たってメールしてくる人に相談なんてするわけないじゃないですか。

主人にも伝えましたが…

「同じ町内会なんだから、回覧板とか掲示板見れば分かる話だろ。
 うちの名字はそんなにいないし。(シャチハタは注文する名字です)
 そういう組織の役職ある人だったら、近所の訃報とか、
 アンテナはるもんじゃないの?」

ごもっとも。
そして、主人と二人で、そーだ!そーだ!と盛り上がったのは
「心は大丈夫ですか?」
の一文です。

いるか?!

まあ、活動してない幽霊会員ですしね。義父の訃報を今になって伝え聞いたとしましょう。ならば、
先日訃報を聞いた。お悔やみが遅くなってしまい申し訳無い。ご冥福を…
で十分でしょう。

あんたに心配されたくない!どっちが大丈夫なんだよ!

と盛り上がりました。
違った意味で、このトンチンカン地区婦は、我が家を一家和楽にしてくれます(笑)

あまりにもトンチンカンすぎて、メールの返事をすることも嫌になりました…。
さて、次のトンチンカンメールはいつでしょう?
まあ…選挙の時でしょうねぇ…(汗)





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by awake_2014 | 2016-03-09 00:00 | 6.その後(2016年) | Comments(4)

リアル?惰性?

喪中につき、新年の挨拶を遠慮させて頂きますが、今年もよろしくお願い致します。
昨年は、皆様にコメント頂いたり、また、多くの方にアクセスして頂き、こんな私でも同じ思いの方の心に、何か届いたかもしれない、と思った1年となりました。
今年も思うがまま、まとまりのないブログですが、よろしくお願い致します。



先日、ちょっと「創価」いうキーワードが入った言葉をパソコンで検索をしていたら、こんな広告が出てきました。

「ネットCM リアルな絆篇」
http://www.sokanet.jp/pr/cm/kizuna.html

最近の創価学会は、イメージ宣伝、好きですねぇ…。
TVでも映画館でもCM流してますけど。
その膨大なお金は、どこから出てるんでしょう?
若い会員が減ってきて、拡大が見込めないから、ネットでCM!って感じ?
最近は、テロリストもネットでイメージ広告を流す時代ですしね…。

無駄な時間と思いながら、ショートムービーなるものを見てみましたが。
最近の若いOLさんをリアルに描いたんでしょうけども。
何か、きれい事だなぁ、と感じました。

創価じゃなくても人の事は祈ることができるし。
私変わるんだ!っていう気持ちはいいけど、仕事中のスマホやめて、会社でもガラリと変わって、仕事もできて、同僚とも絆が深まって!
になったのかい?というか。その後、どうなのよ?というか。

リアルに描くなら…
「会合に参加し始めたら、新聞とグラフと書籍を買うように言われました。」とか
「年末に財務という名の寄付をいっぱいしましょう!目指せ3桁(100万)!と言われました。」とか
「選挙の前になると会合はなくて、友達に会いましょう!F票を報告しましょう!と言われました」とか。
そんなリアルも入れて欲しいですけど。

さらに続編として、
「一緒に頑張ろうね!って言ってくれたけど、隣町に引っ越したら音沙汰がありません。」とか、
「会社で公明党のお願いをしたら、陰口をたたかれるようになりました。」とか、
「友人に選挙の話をしたら、遊ぶ回数が減りました。」とか、
「地域に若い人がいないので、すぐに役職に推薦されました。」とか、
「創価の疑問点を話したら、すごい目で見られて、罰が当たる、と言われました。」とか。

これこそ「リアルストーリー」じゃないでしょうかね?!

「リアルな絆」って…。
私は、創価の中でリアル絆な人はいないんですけど…。
ものすご~く親しい感じで接していた人も、組織や地域がかわれば、音沙汰なし。



創価の人間関係と言えば…年賀状の時期でしたが。
昨年、義父が他界した為、今年は喪中葉書や寒中見舞いで終えたのですが、過去の物を整理していたら…
年賀状だけ繋がりの創価の方が多いこと…。

私は、一番バリ活だったのは中・高等部時代でして、当時は全国の代表が集まる会合、というものに、何度か出席していました。
まだメールなんていうものがない時代。知り合った仲間と住所や電話を交換し、手紙でのやりとりをしていました。大学の友人も同様です。

その頃から、毎年年賀状を送ってくる方が数人…。もう20年以上の人も。
そして、毎年のように「今年は会おうね!」「○○の年、勝利に向かって頑張りましょう!」という、おきまりの文句。
当然のように「今年は会おうね」という人とは、一度も会った事がありません。

何だか…惰性の人間関係、ですよね。

頂いておいて、こちらから出さないのも…と思い、私も出し続けてきたのですが、来年はちょっと惰性の断捨離をしよう、と思いました。
ネットで色々調べると、やはり同じような考えの方もいて、年賀状をどうやってやめるか、という内容が多々ありました。

高齢の方は、それを理由に、今年で年賀状を終えます、という一文を書いて終える、という方法があるということで。実際に、昨年、主人の繋がりある方から、その一文が添えられた年賀状を頂きました。

では、若い人はどうするのか?
「勝手ながら今年で年賀状のご挨拶を最後にさせて頂きます。今後は、電話やメールでのお付き合いを…」と書き添える、という方法が書かれていました。
本当に連絡を取り合いたいならば、メルアド教えて、と電話や手紙がくるはず。そうじゃなければ、相手も同じ程度に思っていた事になって、ちょうどよい、と。
なるほど…。
ただ、そうしたい相手が通じ合っている場合、片方は書き添えて、片方は年賀状のやりとりを続ける、となると、どうなってるの?!になるので、要注意、とのことでした。

私の場合、断捨離したいのは、長年会ってもいない、会話もしていない、年賀状だけの創価繋がり。こちらには、来年、一文を書き添えて、全て断捨離したいと思っています。



「あなたのことを思ってるからなのよ」
という、軽い言葉に惑わされれず、今年も覚醒の道を堂々と歩いて行こうと思っております。
こんなブログですが、よろしければ、今年もお付き合いくださいませ。





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by awake_2014 | 2016-01-25 00:00 | 6.その後(2016年) | Comments(8)