3-2.「覚醒」の確信

地区婦との一件があり、ネットで検索すると、同じように、学会2世、3世として育ってきたが、創価に疑問がある、おかしい、家族が崩壊した、脱会したい、等々、思いを訴える方が多いことに気づきました。

私だけじゃ無かったんだ…。

身近にこのような疑問を話す相手がいませんでした。
創価の人に話しても、ああ言えばこう言う…のループです。「創価は正義」「先生は正しい」「組織から離れちゃいけない」…。
だから話しませんでした。

しかし、ネットでは、皆さん、自分の正直な考えを書いています。
よく創価では、週刊誌はデマばかり、と言います。確かにそういった部分もあるかと思います。

でも、個人の思いは、利権もしがらみもありません。
ただ、思いを伝えたいだけ。

覚醒してからのこと、家族とのこと、皆さん、色々な想いを綴られていました。
そんな中、拝見していたブログにあった言葉…

「組織でいわれているような「仏罰」は、ありません。」

私は、この言葉に背中を押されました。

創価に疑問を感じていたものの、産まれた時からの刷り込みというか、マインドコントロールというか…によって、「創価に背を向けたら大変な罰が当たる」という意識が心に焼き付いていたのです。

しかし、冷静に考えれば、子供の頃も、必死に、勤行唱題をしていた子ではなかった。
大人になってからは、疑問を感じ始め、仕事中心でやってきた。
確かに病気もした。手術も経験した。でも普通に生きているじゃないか。

そう思いました。
しかしながら、このマインドコントロールは厄介で、過去に言われたことが邪魔をするのです。

「あなたがやっていなくても、お母様が祈っているから、大事に至ってないのよ。」

何か問題があれば、今乗り越えるのが使命だと言われ、
良い結果が出れば、祈りきったからだ、これからも!と言われ、
悪い結果が出れば、まだまだ祈りが足りないのだと言われ。
特に祈ってないといえば、母が祈ってくれているからだ、と言われ。

無限ループです。

そして、「功徳も罰も、三世に渡る」とも言われました。
自分が頑張って得た功徳は、子供や孫にも繋がるものだと。
逆も又然り。罰も孫まで繋がるのだと。

冷静に思えば、恐ろしい話です。
やめたら罰が当たり、それは孫の代まで続く、というのです。

しかし私は、気持ちを固めました。
ここでしっかり覚醒しなくては、と思いました。
子供のためにも、です。

私は産まれた頃から創価で、「子供の頃」にも書いたように、会合に連れ出されました。
夜の会合に行き、21時頃帰宅することに疑問を感じませんでした。

しかしながら、母となった今、18時に夕飯を共に食べ、20時に入浴し、21時に布団に入る生活をするようになりました。
あの頃の私は、おかしかったのではないか、と。
修学旅行で、神社仏閣に行けば、邪宗だから罰が当たる…と思い、満足に見学もせず、歴史を敬う心などありませんでした。

我が子にそんな思いはさせたくありません。
信仰を持つとしても、自分の意志で決めて欲しい、と思います。






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# by awake_2014 | 2014-12-12 00:00 | 3.覚醒後 | Comments(4)
頭にきたメールのやりとりから2週間後、地区婦人部長から

「何分かお時間頂けませんか。新聞の領収書お渡しがてら。」

とメールがきました。
よく気軽にメールができものです。どんな顔で会おうと思ったのか。
「これから20年30年後を楽しみにします」と言ったのだから、次に会うのは20年後にして頂きたいぐらいです。

「お話することはありません。領収書はポストにお願いします。」
と返答しました。
すると、翌朝、ポストに領収書と手紙の入った封筒。手紙には、このような内容が書かれていました。

=====
年末からのメールのやり取りを改めて見返した。
アズラさんを分かった様な大変身勝手な発言だった。
きちんと会って謝りたいが、私が与えてしまったアズラさんへの不信感、不愉快、傲慢さ、余計な発言。
会ってもらえなくて当然。
池田先生の言われている「一人を大切に」「心遣い」に反していた。
心から反省した。申し訳ない。
相手の気持ちが分かる。側で寄り添える婦人部になっていく決意。
=====

文面の随所に「ごめんなさい」「申し訳ありません」「すみませんでした」の言葉がありました。

何をいまさら…。年末、2月と、人の仕事に文句をつけ、活動しなよ!言いながら、応援してるだの、詮索はしてないだのと。
勝手なことを言い続け、こちらを苛立たせておきながら、2週間たって。
「先生の指導は間違いないよ!」と言いながら、自分で反していた、と。

この時、かなりイライラしていました。返事をするのもイヤで、そのままでいました。
さらに、その1週間後、子供が幼稚園からバスで帰ってくる時、決められた近所の降車ポイントで待っていると、突然、地区婦が目の前に!

「ちょうど良かった~。会えて良かった~。手紙読んでもらえたぁ?本当にごめんね。」

おめでたい人だなぁ…と思いつつ、雨の日、傘を差しながらバスが来る方向を見て、「はぁ」と曖昧な返事をしました。
その間も、ずっとこちらを見て「ごめんね」の繰り返しです。

「題目あげてたら、すごく失礼だったな~って思ってきてぇ~」
「小単位とか、○○さんから連絡来ると思うから、よろしくねぇ」
「また何かあれば、どんどんぶつけてきて」

・・・・・。もう言葉がありませんでした。
語尾の「ぇ~」「ねぇ」も馴れ馴れしいったら…。
彼女が立ち去った後、苦笑いしかできませんでした。

胃が痛くなるような出来事でしたが、時間が経つにつれ思いました。
私はこの一件があって、創価から覚醒するきっかけを得たのだ、と。
後から冷静に考えると、感謝すべき人なのかもしれません。






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# by awake_2014 | 2014-12-11 00:00 | 3.覚醒後 | Comments(0)