3-5.覚醒後の生活・2

2014年秋になって地区婦からメールがきました。何ヶ月ぶりでしょうか…
その内容は、

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お久しぶりですみません。広布部員の申込み時期となりました。
○○記念講堂が完成する年!是非真心の財務をお願い致します!
申込書、お渡ししたいのですが、都合のいい日、教えてください!!
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無礼な発言をし、謝罪し、数ヶ月ぶりのメールがコレです。「!」がいっぱい…。
年頭から秋まで一切会合に出ていない私に、財務?
やると言ってないのに、申込書渡す?

父の遺産を母に託した私は、母から納税義務のいらない程度の小遣いを毎月もらっています。
それには、専業主婦で稼ぎのない私に「聖教新聞をとってね」というお金も含まれています。財務も、です。
これほど覚醒意識が芽生える前も、財務には不信があったものの、母の思いをくんで1口続けてきましたが、もう無理でした。
金の亡者である組織に一銭も出したくない、と思ったのです。

「広布部員の申込みをする意志はありませんので、申込書は不要です。」
そうメールで返すと、
「確認です。今回?今後も?」
と即座に返信がきました。

創価の活動に疑問がある。活動に参加したくない。財務は申し込まない。
でも今後はやるかも?
そんな人いますか?(笑)

活動していようとなかろうと、財務はきっちり取りたい。
そんなところでしょうか。

覚醒してから、色々調べていたら、今から約20年前、今は中止となった「高額納税者」が公表されていた平成6年度当時、池田名誉会長は7億円(納税額2億4千万)秋谷会長は6千万(納税額2千万)です。
税務署が出しているものだから、間違いありません。数名いる副会長、理事長も、それぞれ、1年で数千万の収入です。
組織としてそれほどの収入があるなら、マメに書籍を出して会員に購入させることなんかないのに。
薄い冊子にでもして、全員に無料配布すればいいのに。
…と思う程です。

その後、白ゆり長からは、民音賛助会員の手紙がポストに入りました。
2013年の終わり、地区婦から依頼され、支援するつもりはないものの支払った年会費500円。
当然ながら、支払うつもりがなく、メールで意志を伝えました。

「民音賛助会員ですが、宗教法人として不要な多角経営的な事業展開と感じること、チケットの購入割当等、理解できない点があることから、お断り致します。」

すると、白ゆり長から返信がありました。
「私は、難しい事は、頭が悪いから…ってあまり考えて無いけど、アズラさんって、たくさん考えているんですね。私も、もっと物事を良く考えるように頑張ります。」

難しいことはあまり考えない…?
あまり考えずに、言われるままお金出しちゃってます、ってことかしら?
MCというか、素直というか、何というか…。

2014年の年末に衆議院選挙がありましたが、その際も白ゆり長からメールがありました。
「明日選挙の報告があるが、頼めましたか?見込みでも構いません。」
とのこと。

意味の無い報告です。
私は、「マニフェストを読みましたが、疑問点があるため、他の方に選挙依頼をするつもりはありません。私自身、他党のマニフェストを読んで、判断するだけで、投票ギリギリかと思います。」と返信しました。

すると、
「そうですか~。それは残念だけど、アズラさんが1票入れて下さるなら、それが一番良いです(絵文字で笑顔) なので、よろしくお願いしますね!」

やはり、あまり考えない方のようです。
私、公明党に1票入れるって言ってませんが。
人に頼むとかいうよりも、自分自身、突然の解散・選挙で、あちこちのマニフェストを読んで比較するだけで手一杯だ、と書いたのですがね。

こうして、私の2014年は終わりました。
いろいろありながらも、決心して、行動して、良かった。そう思えた1年でした。





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# by awake_2014 | 2014-12-15 00:00 | 3.覚醒後 | Comments(0)
2014年春のことです。

2012年3月、ショックを受けたB子からのメール。(4-1.親友? 参照)
そして、2013年12月と2014年2月、地区婦人部長の非礼。
明らかに、私は創価からも地区婦からも離れたい、と思っていました。

そんな中、私の誕生日がきました。地区婦人部長をやっている友人B子からも「お誕生日おめでとう」のメールが来ました。
「色々あったが、長いメールを送るのは気が引けていた。毎日慌ただしいが家族元気が一番」といった返信をしました。

長いメールを送るのは気が引ける…2012年3月のコトが、トラウマなのです。
あれ以来、私は、あまり長文のメールを送らなくなりました。送っても相手に迷惑なだけ。送っても適当な返事があるだけ。そういう思いが消えないのです。

そして、B子は「おめでとうメール」をきっかけに、長いメールを送ってきました。
非礼の地区婦人部長のことで、です。
B子と地区婦は、中学の部活の先輩後輩から始まり、女子部時代も共に活動した間柄なのです。

長文のメールやりとりは、3日にわたり、お互いに時間をかけ、考え抜いたメールを送り合いました。
しかし、「水と油」なのです。
バリ活のB子と、非活の私、お互いが丸く収まることはないのです。
B子は、必死に意見を出してきました。私も思うところ反論しました。

いくつか抜粋すると、私の創価に対する疑問点と重なるところがあります。

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『(地区婦)を嫌ってるようだけど、そこまで怒らないといけないの?
(地区婦)すごく気にしてて色んな人に指導受けてた。
会合に出て、人と話して元気になって前向きに活動してもらいたいって思ってるのに「あの人が嫌いだから会合出ない」って、ただの怨嫉。
その人の為に信心してる訳じゃないよね、「先生と共に」だから。』
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創価はすぐに使います。「怨嫉」。会いたくない、見たくない、だから会合に行かない。
そうではないのです。まあ、もちろん、あれこれ私に対し、否定する言動があったのですから、地区婦のことは嫌いです。人として。会いたくありません。
しかし、それは、あくまできっかけなのです。地区婦がイヤだから、なのではなく、創価という組織がイヤなのです。
すぐ「怨嫉」という組織が。「創価池田学会」になってしまった組織が。

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(20年以上前の宗門問題の時から、私は創価学会という組織に疑問を抱えてきた、に対し)
『随分長いよね。なんでその都度先輩に指導受けなかったの?こんな気持ちで、信心したってつまんないのに。何かあればすぐ疑って、ネットや外部の意見尊重して。』
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バリ活さんの口癖です。「週刊誌やネットは、嘘ばかり。」
確かに週刊誌などは売り上げアップのために、嘘の内容が載せられ、結果、裁判沙汰になり敗訴する、ということも多々あります。
しかし、ブログというツールが定着した今、数知れないほどのアンチ創価ブログがあります。中には、偽物もあるかもしれません。しかし、学会2世、3世で、言われるままにやってきた…と、ご自身の体験をありのままに書いていらっしゃる方もいます。
それすら疑うのなら、聖教新聞の勲章記事の方が、よほど怪しいところです。

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『確かに都合の悪い事は、新聞にも載せないし、宗門の悪口ばかりが掲載された時は新聞やだなって思ってた。組織だから納得出来ない事もあるし、なんで?って思う事もたくさんある。』
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バリ活さんでも疑問がたくさんあるようです。

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(色々並べられる内容に対して、私の意見を返答し続けていると)
『疑問をぶつけられてると言うか、何か言い負かそうとしているように感じる。
私はただ学会から離れてほしくないし、活動してもらいたいからメールしたんだけど。』
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いやいや、言い負かそうとしているのは、どっち?

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(地区婦が多忙、ということでメールの返事が曖昧だったことについて)
『「地区婦」に関しては、行き詰まってた。これはきっと分かってもらえないと思う。
極端だけど、疑問点が全て解決したら地区婦が出来る?喜んで信心出来る?』
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分かろうと思わないし、地区婦をやろうとも思ってないし…。
既に、ヤングで役職に対する不信が確立して、グループ長を断った私ですから。
私の持つ疑問点が全て解決…それはあり得ません。
解決するとしたら、創価学会が創価学会では無くなる時です。

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最後の方は諦めモードになったのか、
『私もスーツ会合で着るのは面倒だよ。』
『選挙は私も好きじゃない。学会は極端だから一直線過ぎて、ついていけない。』
『集団的自衛権の事は詳しく知らないんだ。』
となり、

『学会がいつも必死なのは、昔から。勤行唱題を長いことしてないなら不信になるよね。やらなくても生きていけるしね。』
『疑問や不満があっても勤行や題目はやらないより、やった方がいい。その疑問と不満をぶつければいい。先生と自分の原点は何だったのか、思い出した方がいい。』

勤行唱題をしていないから、学会不信になる…。もうMCですね。

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(「願えば叶わないことが無いのが信心なんだよ!」なら、もっと祈って叶えて実証を示して欲しい。と書いたら)
『全部が自分の思う通りに叶うならみんなやるよね?
でも実際はそうじゃないでしょ、自分の都合良く捉えて、感謝して、前向きに生きていける。それじゃ納得出来ない?世の中、全てが完璧じゃない。
「願っても叶わないこともあるけど、信心ってすごいよ」って指導されて納得出来る?そんなのやりたくないよ。』
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全てが思い通りに叶う…なんて思っていないけれど、でも創価の指導では「祈って叶わないことはない」って、ずーっと言われてきたんだけどな。
「願って叶わないこともある」そうなら、正直にそう言えばいいのに。
「願って叶わないこともあるけど、すごいよ」それが真実なら、叶わないこともあるけれど、自分を良い方向へ変えられるんだよ~とか言えばいいのに。
だから私は「祈って叶わないことはない」って堂々と語る人が多い組織がイヤなのです。きれい事を語るのが。

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『活動しない人に限って学会員に厳しい。幹部だって人間なのに。』
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そりゃそうです。お花畑の中で手を繋いでいる同士、手厳しくなることはありません。
疑いがあるから、だからこそ、じゃあ、あなたが実証とやらを示してくださいよ、と言いたくなるのです。

一般的に「組織」というのは、幹部には厳しく言うのは当たり前のことです。
会社という組織にしても、営業部長が「しっかり働け!契約とってこい!」って指導してても、実際は契約全然とってない、となれば、おかしいだろ、ってことになるのは当然。
学会の役職は、上から指名されてではあるけれど、最終的には自分でやります、って引き受けたんですよね、やりますって言ったんですよね、というのがあるのではないでしょうか。

会社の業務命令なら拒否したら左遷されるかもしれないけど、学会は利益追求ではないから、嫌なら引き受けなければいいし、引き受けたならば…、というか。
もちろん幹部だって人間だから、弱い面もあるし、色々あると思いますが、会社の部長課長と違って、学会の幹部は、その人の人生というか、生き方というか、そういうところを指導するポジションだから(宗教根本だから当然だけど)、余計に厳しい目になるんだと思います。

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『私だって偉そうな事言ってるって思われてるかもしれないけど、その分、アズラより活動してきた。やめたくても続けてきた。イヤな事が沢山あっても逃げずにやってる。』
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逃げずに続けることが素晴らしい、ということでしょうか。
確かに、学業や仕事はそうことも当てはまりますが…。自分の意志である信仰の自由。これに「逃げ」はないと思います。「逃げ」ではないのです。「不信感があるからやめる」なのです。「逃げ」という表現は、バリ活さんから、よく聞く言葉でもあります。

お互いに子供が寝静まった深夜に長いメールを打ち、3日ほど。
互いに見ている方向が違って、水掛け論でしかない。
お互い、家庭、育児、仕事、活動があるから、このへんで締めたいと思う。
そうまとめて、メールを終えました。

高校時代からの友人でしたが、根本的な考え方の違いを知る出来事となりました。
彼女からすれば、「アズラが変わってしまった」なのでしょうが。
私からすれば、私が普通になった、だけのことなのです。






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# by awake_2014 | 2014-12-14 00:00 | 3.覚醒後 | Comments(0)