頭にきたメールのやりとりから2週間後、地区婦人部長から

「何分かお時間頂けませんか。新聞の領収書お渡しがてら。」

とメールがきました。
よく気軽にメールができものです。どんな顔で会おうと思ったのか。
「これから20年30年後を楽しみにします」と言ったのだから、次に会うのは20年後にして頂きたいぐらいです。

「お話することはありません。領収書はポストにお願いします。」
と返答しました。
すると、翌朝、ポストに領収書と手紙の入った封筒。手紙には、このような内容が書かれていました。

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年末からのメールのやり取りを改めて見返した。
アズラさんを分かった様な大変身勝手な発言だった。
きちんと会って謝りたいが、私が与えてしまったアズラさんへの不信感、不愉快、傲慢さ、余計な発言。
会ってもらえなくて当然。
池田先生の言われている「一人を大切に」「心遣い」に反していた。
心から反省した。申し訳ない。
相手の気持ちが分かる。側で寄り添える婦人部になっていく決意。
=====

文面の随所に「ごめんなさい」「申し訳ありません」「すみませんでした」の言葉がありました。

何をいまさら…。年末、2月と、人の仕事に文句をつけ、活動しなよ!言いながら、応援してるだの、詮索はしてないだのと。
勝手なことを言い続け、こちらを苛立たせておきながら、2週間たって。
「先生の指導は間違いないよ!」と言いながら、自分で反していた、と。

この時、かなりイライラしていました。返事をするのもイヤで、そのままでいました。
さらに、その1週間後、子供が幼稚園からバスで帰ってくる時、決められた近所の降車ポイントで待っていると、突然、地区婦が目の前に!

「ちょうど良かった~。会えて良かった~。手紙読んでもらえたぁ?本当にごめんね。」

おめでたい人だなぁ…と思いつつ、雨の日、傘を差しながらバスが来る方向を見て、「はぁ」と曖昧な返事をしました。
その間も、ずっとこちらを見て「ごめんね」の繰り返しです。

「題目あげてたら、すごく失礼だったな~って思ってきてぇ~」
「小単位とか、○○さんから連絡来ると思うから、よろしくねぇ」
「また何かあれば、どんどんぶつけてきて」

・・・・・。もう言葉がありませんでした。
語尾の「ぇ~」「ねぇ」も馴れ馴れしいったら…。
彼女が立ち去った後、苦笑いしかできませんでした。

胃が痛くなるような出来事でしたが、時間が経つにつれ思いました。
私はこの一件があって、創価から覚醒するきっかけを得たのだ、と。
後から冷静に考えると、感謝すべき人なのかもしれません。






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# by awake_2014 | 2014-12-11 00:00 | 3.覚醒後 | Comments(0)
そうして2014年2月。
大雪が降ったあと、娘と家の前で遊んでいると、地区婦人部長がやってきました。財務の領収証を渡すためです。

財務等、私は納得しない点が多く、やめたい気持ちですが、信仰心のあった父は、それなりの遺産を母に残して他界。私は遺産相続を放棄して、母一人が遺産を受け取りました。相続税対策でもあり、一人残った高齢の母が暮らすための遺産であれば、と思ったからです。

そういった事情もあり、母は、私のお小遣いとして、さらに、娘の教育費用の補助に、と、時折現金をくれます。(納税が必要ない小遣い程度です。)それには、働いていない私が、新聞を購読したりするための費用、も含まれています。
なので、私は新聞購読を続け、財務も最低限の1口(1万円)を続けてきました。

話を戻します。
地区婦人部長がやってきて、領収証を渡すと「仕事はどう?」と聞いてきました。「まあ、何とかやってます」素っ気なく答えると、またも矢継ぎ早に質問です。

私の母に問題があるのか。
仕送りの必要があるのか。
主人が仕事をしろと言ったのか。
主人との仲が良くなくなってきているのか…。

次々と出てくる言葉に、耳を疑いました。

私は地区婦人部長に、そんなこと、一言も話したことは無いのです。母のことも、主人のことも。
先ほど書いた通り、母は父の遺産があり、働かずとも普通に暮らせるお金があります。私に小遣いを渡す余裕もあるのです。主人は働けなどと言いません。仲も良好です。

私が何も相談していないにも関わらず、「仕事を始めた」というそれだけで、勝手な想像をして、勝手に人の家庭の内情を詮索しているのです。しかも、事実とは真逆の質問を投げかけて。
子供がいたので「そんなことはありませんよ」と言って、子供に「お昼御飯食べようね」と、その場を終えました。
しかし、年末同様、私はイライラしていました。いえ、同様ではなく、年末以上です。

私は、またもメールを送りました。



私からは、このような内容を送りました。

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私の母に問題があるのか、仕送りの必要があるのか、主人が仕事をしろと言ったのか、主人との仲が良くなくなってきているのか、等々、色々と聞かれたが、そのようなことはないし、そこまで聞かれるのかと驚いた。

母は父の遺産で暮らし、主人は働けとも言わない。どうして仕事をしたいのか細かく説明しなくてはいけないのか?

地区婦人部長は心配したことを口にしただけかもしれないが、一個人の家庭内事情を探るような話で、失礼と感じるし、勝手に心配されるのは余計なお世話と感じる。
同志の悩みを…と勇んでいるようだが、家庭の内情を詮索するような発言は控えるべきではないか。
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すると、このような内容の返答がきました。

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明らかに組織から離れて行ってる。
詮索してるつもりはない。実家が同じだから、同苦できるかと思った。
家庭内に口を挟むつもりはない。
ただ、去年のメールに、学会宣言しない、等があったので気になった。
勤行、新聞拝読してるからいい、それでは地涌の菩薩ではない。
やれる人だけやればいいって、違うのではないか。
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「明らかに組織から離れて行ってる」から始まりました。

私は、他人の家庭を詮索するような会話はやめたほうがいいのでは?と伝えたのです。
またも、バリ活婦人部の、自己主張の押しつけ、問題のすり替え、です。組織から離れているから、そんなふうに思ってしまうのよ、と。

「組織から離れちゃいけない」
よく創価の人が言います。「それはあなたのため」とも。
本当にそうでしょうか?
活動する仲間が減る、選挙で動ける人が減る、財務を出す人が減る…なのでは?

自分たちの事が正しいと信じるならば、離れたいなら離れればいい、また戻ってきたくなれば受け入れるよ、でいいのに。

私も返信しました。

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詮索しているつもりはない、と言うが仕事をすると言っただけで、「仕送りの必要があるのか」「主人が仕事をしろと言ったのか」と聞かれたことがない。
私が逆の立場でも、そこまで踏み込まない。
口を挟むつもりがないのに、このような発言をするのはなぜか?
何かあれば話してね、で十分だし、相談したければする。
学会宣言をしないといけない、活動をしないといけない、挑戦しないといけない、とあらゆる事を強制されるのが創価学会なのか?全て義務なのか?
そこまでして活動する気持ちはない。
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年末にも私の考えは伝えているのです。
「宗教のための人生」ではなく、「人生のための宗教」と。

すると、今度はこういった内容の返事がきました。

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「仕送りの必要があるのか」は私の体験上のこと。
「主人が仕事をしろと言ったのか」は聞いた覚えがない。
友達に仕事を始めると聞いたら、何かあったと思うのは普通では?
聞けないのは関心がないからか浅い友達か。
学会は、その方の家庭の状況を知らないと、元凶が分からないから聞く。
信仰は我慢してやっていくものではないと思う。
我慢や強制と思ってるうちは、何を語ってもお互い嫌な思いするだけ。
御本尊様あるのだから、全部ぶちまけて。
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「「仕送りの必要があるのか」は私の体験上」。
自分の経験を人に押しつけないで頂きたい。普通に暮らせるお金はあるのです。

「「主人が仕事をしろと言ったのか」は聞いた覚えがない。」
これには驚きでした。
私は、はっきり言われたのです。目の前で。「ご主人が仕事をしろってアズラさんに言ったの?」と。
主人が言ってもないことを勝手に想像して聞くから、私は頭にきたのです。

友達が仕事をすると聞いて、「何かあった」と私は思わないのですが。
しかも、地区婦人部長にとって、この「何か」は、良いことではありません。悪いことなのです。
仕事をする=知識を身につけたいから。社会に貢献したいから。人脈を広げたいから。
そういった仕事に対する良いことなど、バリ活の頭にはないのです。
仕事をする=経済的に厳しい。親が経済苦。主人が働くように言った。バリ活の頭の中は、仕事=お金のためにやらなければいけないこと、活動の邪魔モノ、なのです。
だからこそ、私が仕事をするつもりだと、年末に初めて言った時、
「働く時間あるなら、活動しなよっ!」「働くのって、逃げだよね」と立て続けに私に言ったのでしょう。

ママ友が「今度パート始めるの」とだけ言って、「仕送りが必要なの?」「ご主人が働けって言うの?」と、いきなり聞く人がいるでしょうか?私は聞きませんが。
よほど裕福なら別ですが、子供がいてこれからさらにお金がかかるとなれば、少しでも収入を増やそうと思うのは普通のことです。自分のお小遣いは自分で働いて稼ぐ、というのも、理解できる話です。

また、親しい友人であるならば、その人の環境も多少なりとも知っています。マイホームを購入した、とか、子供が3人いて、みんな習いごとをしている、とか。そういった状況を知っていれば「色々かかるもんね~」で、お互いにわかり合えるものではないでしょうか。友人から「母に仕送りが必要なの」等、悩みを打ち明けられるなら別ですが。
色々人によって考えは違うかと思いますが、私はこう思っています。

「学会は、その方の家庭の状況を知らないと、元凶が分からないから聞く」
「学会は」とありますが、私は他の人からそのような家庭の踏み込んだ話をされたことがありません。この地区婦人部長以外は、人並みの常識があるのでしょう。自分の行う非礼を「学会は」と書いています。いつからそんな組織になったのでしょうか?

このメールの返信を見て、怒りがこみ上げました。
もうこの人にはかかわりたくない。そう思ったものの、この点だけは伝えよう、とメールを送りました。

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「ご主人が仕事をしろってアズラさんに言ったの?」確かに聞かれました。言った方は忘れてしまうものなんですね。

子供が居る者同士であれば、短時間のパートをするといえば、それ以上、あまり聞きません。何かと出費が重なるのが分かっているからです。ご自身の状況では、理解できないのかもしれませんが。それ以上は、必要があれば、自らが話すことです。
浅い関係なら聞きませんし、親しい人なら互いを分かり合っているから聞きません。

私は家庭の状況を多くの人に話すつもりはありません。
(略)
おっしゃる通り、我慢、強制と思う部分が多々あるので、これ以上話してもさらに嫌な思いをすることになると思います。失礼します。
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すると、最後にこんなメールが返ってきました。

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長く語れて良かったです。
これから20年30年後を楽しみにします。ありがとう。
懲りずにまた連絡はするけど。
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何という上から目線!
「20年30年後を楽しみにします」
これは、学会がよく言う「最後に勝利すればよい」ということの現れでしょう。

創価学会は、自分たちに背くものに対しては、ほったらかしです。いえ、ほったらかすのではなく、敵となるのです。
宗門問題の時「打倒!極悪日顕!」と散々わめいた組織です。(今でも、ですね)
退転した人に不幸な出来事が起こると、それ見た事か!と、話に花が咲くのです。

何か問題があれば、今乗り越えるのが使命だと言われ、
良い結果が出れば、祈りきったからだ、これからも!と言われ、
悪い結果が出れば、まだまだ祈りが足りないのだと言われ。
特に祈ってないといえば、母が祈ってくれているからだ、と言われ。

逃げ出せないループ。ある意味立派なモノです。

それにしても、自ら「懲りずに連絡する」って…。
「懲りずに」というのは、「失敗しても反省、学習しない」という意味なんですけど。
ご存じでおっしゃってるんでしょうかね…。

どこにもぶつけられない不信感、怒り…。
私はネットで色々と検索してみました。
すると、同じように、創価という組織に疑問をもつ多くの人がいることを知りました。






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# by awake_2014 | 2014-12-10 00:00 | 2.覚醒へ | Comments(6)