就職は、大学からの紹介?推薦?で、いきなり役員面接をして、すぐに入社が決まりました。あとから思えば、建設会社なので、会館建築に恩義を得たいわけで、新入社員一人いれるぐらい、たいしたことではないのです。

選挙になれば、選挙活動一色。「電話を」「訪問を」と言われるものの、もし自分が相手の立場だったら?と思うと、あまりお願いする気になれませんでした。
週に2,3度、Fはどう?と聞かれるのが苦痛でした。選挙の前になれば毎日。前日、当日と自分がお願いした人が行ったかどうか報告しろ。何でそこまでやる必要があるのだろう?せめて当日は、結果を待てばいいのでは?とずっと思っていました。

会社では2年目から希望の部署に配属されました。同期も多く、新たなシステムを導入する時期でもあり、残業して遅くまで仕事をしました。終電帰りもありましたが、それが苦痛には感じられませんでした。

しかし、苦痛だったのは、それでもやってくる女子部。いつだったか、仕事が毎日遅く会えないからと、夜の10時前に家庭訪問に来て、さすがに「非常識じゃ無いですか」と伝ると、後日、謝罪の手紙が入っていましたが、これをきっかけに、ますます嫌になりました。

ある幹部は「祈って時間は作るのよ。祈れば会合に出る時間も作れるのよ。」とか言ってきましたが…はぁ?私の仕事、今、そんな簡単にまとまらないんですけど。週末だって出てる人がいるんですけど。トンチンカンすぎて、さらに嫌悪感が増していきました。

それでも、選挙になれば、公明党を応援しなければいけない、という子供の頃からの環境もあり、母も何かと言うので、とりあえず友人に話してみることもありました。しかし、反応は良くありません。その度に、落ち込みました。10代の頃、創価の話したことで友達が離れた苦い経験を思い出したのです。

私は学会員、と言わなかった為、選挙になると、私を学会員と知らない知人友人から、色々なことを言われました。
「この前さぁ、中学の同級生から突然電話きて。卒業してから音信不通だったのにね。で、いきなり「公明党をね~」だって。創価学会なの?って聞いたら、「そうなんだ~」って。中学の時だって、別に仲良かったわけじゃないし、何年も音信不通で、いきなり「公明党」とか言われて、入れるわけないじゃん。面倒だから「分かった~頑張ってね~」って言っておいたけどさ。そしたら、それで終わり。「ありがと~!今度会おうよ!」だって。会うわけないじゃん。」
みたいな話です。一人ではありません。何人からも同じようなことを言われました。

それでも電話をした人は、「やった!久しぶりの友人に勇気を出して電話したら、Fがとれた!」と歓喜しているんでしょうね…。
そして、選挙が終わると、結果だけに一喜一憂し、その後の政治活動は把握せず…。
それでも「友人へ正義を広めることで、自身が成長する!」なんて、指導し、指導されて…。
選挙の度に私の嫌悪感は強くなりました。





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# by awake_2014 | 2014-12-03 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)

1-2.進学、学生時代

高校3年になり、進学を考えたとき、勉強したい分野等から大学を絞っていくと、八王子のS大学と、都内の2,3の大学に絞られました。
かなり迷いましたが、親孝行にもなるのではないかと、八王子の大学に決定。推薦入試に申し込みました。筆記試験と面接。見事合格しました。

正直、私は英語が大の苦手で、筆記試験の点数は見るも無惨だったと思います。きっと面接で通ったのではないかと…。
高等部では部長としてバリ活でした。面接でもバリ活幹部並に(笑)、自信満々に受け答えしていた記憶があります。

そして、面接時に驚いたのが、5人ほどのグループ面接で4人が、全員、同じ市内で部長でバリ活だった顔ぶれ。バリ活だったので、大きな会合では度々一緒に役員を行い、気心知れた仲でした。そして、その面々は、全員合格。
推薦入試は、学力というよりも、創価学会員としての素性で合否が決まったのではないかと思ったほどです。

入学し、学生時代も熱心に活動しました。

大学の授業以外は、創価の活動をしていたようなものでした。学食で語り合ったり、行事だって「創立者への感謝の気持ちを!」と言いつつ、裏では「題目あげてる?」みたいなことなわけです。学内に御本尊様を安置している場所もあるのです。

行事前は、終電で帰宅することも多く、たまに早く帰宅して、地元の座談会に出ると、大学の話を聞かせて!と言われ、ちょっとしたエピソードを話すと、壮年・婦人部は喜んでくれました。

そんな学生時代、宗門問題が起きました。

この頃から、新聞や配布される資料等に「打倒日顕」「極悪粉砕」等々、人の幸せを祈る組織とは思えない言葉を多々目にするようになり、違和感を覚え始めました。
趣味等で学外の友人関係が広がり、色々な人と繋がるなかで、さらに学会に対する違和感が増していきました。

1年次は、学内行事で役員になったものの、1年次の秋以降、基本参加のものですら、やる意識が薄れていき、勉強と資格取得に励むようになりました。
早く卒業して、社会人になりたかったのです。







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# by awake_2014 | 2014-12-02 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(0)