1-1.子供の頃

祖母が入信していた3世。よって生後3ヶ月で入信しました(させられてました)。
物心つく前から、親と座談会に行くことが普通の生活です。。
ただ、今から思えば、夜の会合についていくと、終わるのが20時半頃で、だらだらとお茶を飲み、帰宅が21時頃。それから風呂に入ったりするわけで、決して子供にとって規則正しい生活のリズムではなかったと思います。

小学校5,6年の時は、県の合唱団に入りました。11~12歳ながら、信心についての厳しい訓練を受けました。周りの大人は褒めてくれるし、疑うことはありませんでした。

それ故、当時の「創価以外は邪宗」という教えがこびりつき、子供の頃、友達と神社のお祭りに行くとか、子供神輿を担ぐだとか、初詣に行くということは、未経験の世界。
神社のお守りを大事に持つ同級生達を、心の中で笑っていたほどです(全くもって恥ずかしい話)。

それでも、小学生ながら、多少の疑問がありました。
「お題目は、一遍でも心を込めて唱えれば御本尊様に通じるのよ」と言われたり
「1時間しっかりお題目をあげれば、勝利に向かって進めるのよ」と言われたり。
一遍でも通じるなら、1時間も2時間もあげる必要ないんじゃないの?
毎日心のこもった三遍やってればいいんじゃいの?
…なんて思っていました。

その後も熱心に活動を続け、中等部、高等部では部長として、活動していました。
未来部で、「祈れば願いが叶う」と教えられました。「信心があれば、何事も勝利できる。」

でも、勉強ができる友達、運動ができる友達。みな、学会員ではありませんでした。カバンに神社のお守りをつけている。その子が学年トップクラスの成績だったり、スポーツで県大会出場したり。
信心が無くても、勝てるんじゃない?という、素朴な疑問を持ち始めた10代でした。

小中高と、今で言う「バリ活」という部類だったのかもしれませんが、私は、勤行・唱題が嫌いでした。
「普通の子供だから」だと思います。
長時間正座して、お題目を唱えるなんて、出来ませんでした。
(今振り返ると、この点が良かったこと、なのですが。)
でも、周りからは「あげてる?」「頑張ってる?」と聞かれ、「はい」と嘘をついていました。嘘でも「はい」と言えば、褒められるからです。

簡単です。勉強やスポーツとは違うのです。
「勉強してる?」「はい。」嘘をついても、結果が出ます。テストで点を取れなければ嘘はバレます。
「練習してる?」「はい。」スポーツだって同じです。練習していなければ出来ないことがあるし、嘘はバレます。

しかし、創価は違います。 「お題目あげてる?」「はい。」嘘をついても、どうにでもなるのです。
ちょっと成績があがれば「お題目をあげたからだね」と言われ、
ダメだったら「もっとお題目をあげれば変わるよ」と言われる。

どっちでもオッケーなのです。

幼かった頃…。
母は「御本尊様が守ってくれるから」「お題目あげてるからね」と言ってくれました。
でも、後から考えると「お母さんがいるから大丈夫よ」って言われたこと、あったっけ?

私自身、母親となって考えました。
「ママがいるから大丈夫よ」そういってハグすると、子供は満面の笑みを返してくれます。
私が子供の頃、そう言われたことって?






[PR]
# by awake_2014 | 2014-12-01 00:00 | 1.子供の頃~婦人部 | Comments(8)